古式春季神幸大祭
(八屋祇園)
古式春季神幸大祭(八屋祇園)
福岡県指定無形民俗文化財
斎行日:4月30日/5月1日
神幸祭の由来
当社の春の大祭である神幸祭(じんこうさい)は八屋祇園(はちやぎおん)と呼ばれ、地元の方々に親しまれております。神社の縁起によると、第45代聖武天皇天平12年(740年)に「藤原広嗣の乱」が勃発し、当地の豪族であった紀宇麻呂(きのうまろ)公が平定の為に当社に戦勝祈願をして出兵いたしました。乱は無事に鎮圧され凱旋した紀宇麻呂公は御神威を尊び、当社に宮殿・神門を造営し、「八屋八尋濱(はちややひろがはま)」に神輿安置の仮殿(御旅所)を造り、神幸(お神様を御神輿に乗せてお運びすること)を行ったと記されています。
神幸行列は紀宇麻呂公の凱旋の様子を模しているとも伝わります。
神幸祭の行列
当社の氏子総出で奉仕する壮大な祭りで、各地区が定められた役割を奉仕することでお祭が成立しております。
神幸行列
・御神輿(おみこし) 3基の御神輿が出御し、お神様をお運びします
・傘鉾(かさぼこ) 御神輿に供奉し、道中のお囃子を奏でます
・威儀物(いぎもの) 御神刀や社名旗など、お神様の御神威の象徴をお運びます
・舟歌組(ふなうたぐみ) 御神輿行列の先導役を務めるのが舟歌組です。舟歌組が御神輿の前で「天狗そろい」を歌うところから祭が始まり、御神輿が大富神社を出御いたします。道中も定められた場所で歌い、八屋八尋濱の御旅所に到着すると「泰平楽」が歌われます。
山車
・大船(おおふね) 当社御祭神が海に関連するお神様であることから、山車の中で最も上位とされ、途中からは舟歌組に従い、神幸行列の先頭で御神輿を案内いたします。偶数年は1台・奇数年は2台が供奉いたします。
・山鉾(やまぼこ) 重さ約3トン、高さ5メートルにおよぶ2基の山鉾は車輪もなく、地区の男たち総出で担いで巡行いたします。かつて電線がなかった時代には現在よりも遥かに高く15メートルほどだったことが現存する写真からわかります。飾り山のテーマは毎年異なり、各地区が手作りで飾り人形を制作いたします。
・踊車(おどりぐるま) 3基巡行される踊車は、舞台が設置された山車です。舞台では舞踏団が雅に舞い、祭を華やかに彩ります。江戸時代には子供踊りや人形踊りが行われていました。
神幸祭の日程
4月30日・5月1日の両日に渡って行われますが、祭前日の4月29日には山車の巡行安全を祈る「汐かき(しおかき)」が行われます。山車に潮水をかけてお清めし、巡幸の安全を祈ります。
一日目、4月30日の正午頃に舟歌組が御神輿の前で「天狗そろい」を歌い、御神輿が大富神社を出御します。偶数年には舟歌神事の後に感応楽の奉納がございます。
御神輿行列は氏子区域を巡幸しながら八屋八尋濱の御旅所に向かい、途中山車も行列に加わりながら、御神輿の御旅所到着は17時頃になります。
御旅所にて到着の祭典が斎行されたのち、偶数年には御旅所にて感応楽が打たれます。
御神輿に続いて各山車が御旅所に到着し始めると祭りは最高潮に達し、御旅所は多くの人々で賑わいます。
各山車は巡行の際にお囃子を奏でますが、その調子は山車で異なっています。21時からは全地区の山車のお囃子競演会が催され、一日目は終わります。
二日目、5月1日の10時にお神様へお供物を捧げる献饌祭が斎行され、感応楽の奉納がない奇数年には大村神楽講による豊前岩戸神楽の奉納がございます。
14時からは御旅所内の塞神社前にてその年の豊かな実りを祈る御田植祭が斎行されます。
御田植祭に引き続き茅の輪神事が執り行われ、参列者には幣串が授けられます。神幸祭の中で茅の輪神事が行われるのは、かつてこのお祭が夏越大祓と合わせて行われていたことに由来し、無病息災を願うお祭であることを象徴する場面です。
16時ごろに御神輿は御旅所を発ち、19時頃に大富神社に還御いたします。感応楽奉納の年は、境内で納めの楽が奉納されます。
2日間に亘り斎行されるお祭りは当地方最大の祭りとして氏子の方々により大切に守られております。