感応楽

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感応楽
(ユネスコ無形文化遺産)
(国指定重要無形民俗文化財)

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感応楽の由来

神社の縁起や感応楽口伝書によると、感応楽は第42代文武天皇丁酉年(697年)に始まったとされます。
この年に大干ばつとともに疫病が流行し、困窮した四郎丸村(大富神社の鎮座地)の住民は大富神社に籠り「疫病悪魔退散・五穀豊穣」の祈りを一心に捧げていたところ、21日の満願の日に京の住人・羽衣仙人と称する修行者が当地に立ち寄りました。この修行者は大富神社の御祭神のお告げとして舞楽を住民に教え授け、笛・鼓・鉦の三器の調子に全住民は一丸となり舞い続けたところ、悪魔は次々に退散したと伝わります。
住民は歓び、四郎丸村の住民が三戸になるまで永久不滅に舞楽を奉納すると誓願したと記されています。
この楽は、疫病退散・五穀豊穣・雨乞・天下泰平・国家長久の願望を、人事を尽くして及ばざる時の最後の手段として御神前に奉納されます。祈願成就の願いを込めて笛・鼓・鉦の調子に併せた楽は、天地を感応(信心が神に通じること)させるのです。

その為、感応楽は「天地感應楽」または旧豊前之國を代表する楽として「国楽」とも呼ばれます。

感応楽の特色

感応楽は祭文読立後、神前に向かう道楽に始まり21日間祈願から満願成就までの一連の意味を19楽の項目で構成する約35分間の舞です。
舞手は重さ約10㎏、直径約55㎝の締め太鼓を胸に抱えて激しく舞うため、体力的に青壮年でなければ務まりません。
舞手を青壮年が引継ぎ続けてきたが故に、細かな動作に古い形が失われることなく残されており、その保存形態が高く評価されております。
感応楽を奉納する楽人(がくにん)は、以下の7つの所役に分かれます。

1.団扇使 2名 全体の指揮役

 

2.中楽 6名 胸に約10kgの締め太鼓をかけ、楽の中心的役割を果たす

 

3.側楽 人数制限はないが主に5~10歳の男子が舞う

 

4.囃子方 笛12名、鉦打ち4名

 

5.大団扇 2名 団扇の表に感應楽、裏に國楽と書かれた大団扇を持ち舞う

 

6.水取り 2名 楽人に水を飲ませたり汗を拭ったりする

 

7.読立 2名 10歳前後の男子が担い、楽の初めに祭文を奏上する

総勢30名(側楽除く)の楽人によって奉納される感応楽は、四郎丸地区を「前の谷」「迫の谷」の2地区に分け、どの所役も各谷から半分ずつ選抜されます。
楽人は本楽と古楽にわかれ、本楽とは各谷から1名ずつ選ばれた団扇使いと3名ずつ選ばれた中楽の計8人のことを指します。本楽のうち中楽は3度務めなければならず、初めて舞うものを「新楽」、3度目に舞うものを「左引き」と呼び、「左引き」は楽の最中に音頭をとる役を担います。古楽とは「左引き」を経験したもので、「世話人」とも呼ばれます。古楽が楽を打つこともありますが、大富神社境内や御旅所などでの奉納は本楽が務めることが定められており、常に新しい人材を確保しなければならないこととなります。
楽の中心となるのは、大きな締め太鼓を腹にかけ結びヘラの樹皮で作った腰蓑を巻いた中楽と、菅編傘を付けた団扇使いの8名です。

白の大幣(日没後は焚火)を中心に据え円陣を組み、太鼓の者は片手のバチを高く上げながら片足立ちで向きを変えたり、体を反らして天を振り仰ぐような所作を繰り返しながら天地を感応させるように力強く舞います。

感応楽の奉納

奉納は4月30日・5月1日の当社古式春季神幸大祭(八屋祇園)に際して偶数年に奉納されます。
4月30日は御神輿が大富神社を出御する前に境内で打ち、御神輿が八屋八尋浜の御旅所に到着後、神輿の前で奏します。

5月1日は四郎丸地区の10か所の大富神社末社で打ち、御神輿が大富神社に還御したのち、焚火を中心として納めの楽が奉納されます。

上記の他、伊勢の神宮での遷宮奉祝行事、宇佐神宮での勅祭などに奉納されています。

感応楽

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豊前岩戸神楽(大村神楽)

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