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鎮守の杜

公式ホームページの「おおとみだより」の初回記事を推敲する間に正月を迎え、気が付くと暦の上では春となりました。「おおとみだより」の名称は紙媒体で昭和61年から発行しております社報からいただきました。社報「おおとみだより」と同じく、大富神社のことをより深く知っていただくような内容をお届けしていきたいと考えています。

前置きが長くなりましたが、ホームページ版「おおとみだより」第一号では当社の「鎮守の杜」について紹介いたします。当社を訪れたことのある方はご存じの通り、境内には多くの木々が繁り、まさに鎮守の杜と呼ぶにふさわしい環境にあります。神社の境内地に木々が繁っていることは神道が自然崇拝を源流としていることに由来し、神社の木々は大切に守り続けられてきた為、鎮守の杜は独自の生態系を保ち続けています。

(本参道の風景:木々の緑が美しく清々しい神聖な空気が感じられる)

ここで当社の鎮守の杜にある銘木・巨木・珍木についてご紹介いたします。

まず御本殿向かって右側にあります槙の木。この大きさの槙の木は珍しく、御幣を建てて大切にお守りしています。

(御本殿向かって右側の槙の木)

次に御本殿向かって左側にあります招霊木(オガタマノキ)。この木は一円硬貨に描かれている植物のモチーフになったとも言われます。日本神話においては天岩戸開きの際、天細女神がオガタマノキを手に持って舞ったとも言われる為、多くの神社において大切にされています。当社のオガタマノキは大変な巨木で推定樹齢200年弱とされます。御本殿の横に植樹されている為、現在の御本殿の建立時(令和5年時点で171年前)に植樹された木ではないかと推測されます。

(御本殿向かって左側の霊招木)

勅使井の横には境内で一番大きな樹木である大樟がそびえます。この木は鎮守の杜から頭一つ抜け出るほどの大きさですが、明治時代に当社を描いた絵図においても、勅使井横の巨木が描かれており、当時から既に巨木としてそびえ立っていたことが分かります。

(勅使井横の大樟)

また御本殿の裏側には藤の巨木があります。昭和15年に福岡県が行った調査報告書によると「この境内の森の王座を占めるもの」と書かれ、「熱帯の大蛇を思わせる」風格でそびえていたとあります。藤は御本殿裏手の樟に絡みついて伸びており、4~5月頃には樟が藤の花を咲かせたような珍しい光景も見られます。

(御本殿裏手の藤の巨木)

(4月~5月頃には樟に藤の花が咲いたような光景が見られる)

樟では鎮守の杜の奥に入っていくと珍しい夫婦樟があります。元々別の木であったものが、途中でつながり、お互い支えあいながら成長しています。まるで夫婦のように縁を結び、支えあっていく姿を現しているような縁起の良い珍木です。

(夫婦樟:森の奥にありますので、通常ご覧はいただけませんが、ご希望の方は神社職員にお声かけいただけましたら、ご案内いたします)

また珍しい木としては当社にはこの付近の平地の森にはない「バクチノキ」や「クスドイゲ」もあります。

このように豊富な生態系を持つ当社の鎮守の杜は昭和48年に福岡県の環境指標の森に指定され、樹木の観察が行われてきましたが、平成3年に大きな危機を迎えました。その年に発生した大型の台風19号(世間的には青森のリンゴ農家に大きな被害をもたらしたことから「リンゴ台風」の名で知られます)が豊前市を直撃し、当社の鎮守の杜も大変な被害を受けました。

境内の木々は倒れ、建物にも大きな被害をもたらし、根の深い一部の巨木は残りましたが、それまでの鎮守の杜とは別世界の光景が広がっていました。

(御本殿側から拝殿正面側を見た風景)

(本参道の風景:中央付近に勅使井横の大樟が見える)

そこから元の鎮守の杜を取り戻そうと立ち上がったのは、地域の氏子の方々でした。宮司とともに境内に植樹をし、徐々に境内の緑を取り戻していきました。

台風の被害から30年余りがたち、現在ではすっかり鎮守の杜が戻って参りました。

境内でふと耳を澄ますと鳥の声や木々の葉音が聞こえ、新緑の時期は青々とした生命力が溢れ、真夏に境内に入ると体感温度が2~3℃低く感じるような世界です。

当社にお越しの際には、五感を澄まして鎮守の杜の声をお聞きください。